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東京地方裁判所 平成7年(ワ)25047号 判決 2000年7月31日

原告

平野浩

ほか一名

被告

尾崎一昭

主文

一  被告は、原告平野浩に対し、金一一九九万四六四四円及びこれに対する平成七年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告平野安子に対し、金一一九九万四六四四円及びこれに対する平成七年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告平野浩に対し、金四七六八万一一二九円及びこれに対する平成七年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告平野安子に対し、金四七六八万一一二九円及びこれに対する平成七年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、信号機の設置された道路を横断中の自転車に普通乗用自動車が衝突し、自転車に乗っていた者が死亡した交通事故について(信号表示については争いがある。)、死亡した男性の相続人である両親が、加害車両の運転者に対し、自賠法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償の支払を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げた事実以外は争いがない。)

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 発生日時 平成七年四月二九日午前一時一七分ころ

(二) 事故現場 東京都江戸川区大杉四丁目四番地所在の環状七号線大杉五丁目交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 事故車両 被告が所有し、かつ、運転していた普通乗用自動車(足立三三に六五五、以下「被告車両」という。)と、平野啓之が乗っていた自転車(以下「平野自転車」という。)

(四) 事故態様 環状七号線外回り車線を奥戸方面から葛西方面に走行してきた被告車両が、陸橋を通過して下り進入した最初の交差点である本件交差点において、横断中の平野自転車に衝突し、平野啓之は、外傷性頭蓋内損傷で死亡した。

2  当事者

原告らは、平野啓之(以下「亡啓之」という。)の父母で相続人である(原告平野浩本人、弁論の全趣旨)。

二  争点

1  本件事故の態様と、それに基づく被告の責任原因及び平野啓之の過失相殺の有無(特に、事故態様においては、信号表示の内容、衝突地点、被告車両の速度が主たる争点である。)

(一) 原告の主張

事故現場付近は時速五〇キロメートルの速度制限がなされていたが、被告車両は、環七通りを時速六五キロメートル以上の速度で走行して本件交差点に差し掛かり、対面信号が赤色を表示したのに、そのまま交差点内に進入し、歩行者用の信号の青色か青色点滅の表示に従い、自転車横断帯を走行して環七通りを横断し始めた平野自転車に衝突した。

(二) 被告の主張

被告は、被告車両を運転し、時速六〇・一キロメートルから六五・一キロメートルで走行して本件交差点付近に差し掛かり、対面信号の青色表示に従って本件交差点内に進入しようとしたところ、本件交差点の約一〇メートル手前付近において、本件交差点内の、環七通りの交差道路の中央付近を対面信号の赤色表示を無視して右から左へ横断している平野自転車を発見した。被告は、ブレーキをかけてハンドルを左へ回し、衝突を回避しようとしたが、被告車両の前部右側を平野自転車の左側面に衝突させた。なお、亡啓之は、本件事故直前に相当程度の飲酒をしていた。

このように、被告は、対面信号の青色表示に従って本件交差点に進入し、対面信号の赤色表示を無視して環七通りを横断していた平野自転車に衝突したのであるから、被告には過失はない。

また、仮に、被告に過失があるとしても、本件事故は深夜に発生し、被告からの見通しが悪かったこと、平野自転車は自転車横断帯でなく、車両専用の交差点内を走行していたことを考慮すれば、被告に時速一一キロメートルから一五キロメートルの速度違反が存在したことを考慮しても、亡啓之の過失割合は八五パーセントとするのが相当である。

2  逸失利益を中心とした亡啓之の損害額(ただし、葬儀費用及び慰謝料は争いがない。)

(一) 逸失利益に関する原告らの主張

亡啓之の逸失利益は次の(1)ないし(3)の合計金額六八一六万二二五八円となる。

(1) 死亡時(三七歳)から定年退職時(六〇歳)まで 五〇一四万二五五六円

亡啓之が勤務していた社会福祉法人江戸川区社会福祉協議会においては、死亡時から定年退職時まで、少なくとも毎年二〇万六〇九〇円の昇給があり、生活費控除を五〇パーセントとし、これを前提にライプニッツ方式により中間利息を控除して算出した。

(2) 退職金差額 六五六万二三九一円

定年退職手当二三六六万五六〇〇円と東京都社会福祉協議会従事者共済会退職給付二三五万九一七三円を加えた額から、生活費控除をすることなく、中間利息を控除して現価を算定すると八四七万二九一一円となる。そして、これから死亡退職金である一九一万〇五二〇円を差し引いて算出した。

(3) 定年後六七歳まで 一一四五万七三一一円

定年時の収入である年間一〇一三万五二三六円の六〇パーセントに相当する六〇八万一一四一円を基礎収入とし、中間利息を控除して算出した。

(二) 逸失利益に関する被告の反論

江戸川区社会福祉協議会において、昇給規定が存在するとしても、途中に昇任試験があるなど、定年まで順調に昇給を続けることができるか否かについて、不確定要素が多い。したがって、退職金を含めて、定年後六七歳まで三〇年間について、事故当時の収入である年間五三九万五一三四円を下らない収入を得ることができたにとどまる。

したがって、この基礎収入を前提に、生活費控除を五〇パーセントとし、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、亡啓之の逸失利益は、四一四六万六九九九円となる。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様について

1  認定事実

証拠(甲一三、二〇、二一の一・2、二二、二四ないし二六、三七の2、乙一ないし四、証人吉川泰輔[書面]、鑑定の結果、調査嘱託の結果)によれば、次の事実が認められる。

(一) 事故現場である本件交差点は、奥戸方面(北方向)から葛西方面(南方向に走る環七通りと同潤会通り方面(西方向)から新中川方面(東方向)に走る区道(以下「交差道路」という。)が交差する信号機による交通整理の行われている市街地の交差点である。本件事故当時の事故現場付近の飲食店等の営業は全店終了していたが、街路灯が設置されているため、本件交差点内は明るい。

環七通りは、車道の幅員が一九・五メートルの片側三車線(道路端から順に、「第一車線」ないし「第三車線」という。)の平坦なアスファルト道路であり、その両側には、幅員三・八〇メートルの縁石及びガードパイプで仕切られた歩道がある。道路中央には幅一メートルの中央分離帯があり、交差点の出入口には幅員四メートルの横断歩道が設置され(このうち北側の出入口に設置された横断歩道を「本件横断歩道」、南側出入口に設置された横断歩道を「南側横断歩道」という。)、その交差点内側には幅員一・九メートル(北側)あるいは幅員二・〇メートル(南側)の自転車横断帯が併設され(このうち、北側の本件横断歩道の内側に設置された自転車横断帯を「本件自転車横断帯」という。)、横断歩道の端には歩行者用の信号が設置されている。また、交差道路は、幅員五・九メートルから六・〇メートルの道路であり、本件交差点から同潤会通り方面には、両側に幅員一・二五メートルの歩道が設置されている。以上の現場の概要は、別紙現場見取図(以下「別紙図面」という。)のとおりである。なお、時速五〇キロメートルの速度制限がなされている。

環七通りの両側には街路灯が設置されており、奥戸方面から進行してくると、前方(南方向)及び右方(西方向)の見通しは良好であり、交差道路を同潤会通り方面から進行してくると、前方(東方向)及び左方(北方向)の見通しは良好である。

(二) 被告は、被告車両を運転し、時速約六〇キロメートルから約六五キロメートルで環七通りを奥戸方面から葛西方面に向かって第三車線を走行し、本件交差点付近に差し掛かった。被告は、本件交差点の約三〇メートル手前において対面信号が青色を表示していることを確認し、そのままの速度で本件交差点に進入しようとしたところ、約一七メートルから約二〇メートル先のやや右前方、即ち、本件自転車横断帯内から、それより交差点中央に約四メートルほど寄った地点までの間のやや右前方において、新中川方面に向かって左方に走行している平野自転車を発見し、あわててブレーキをかけてハンドルを左に切ったが間に合わず、第二車線上か、第二車線と第三車線の区分線上付近において、被告車両の右前部が平野自転車の左側面に衝突した。亡啓之は、衝突とともに被告車両のボンネットに跳ね上げられてフロントガラスの前方に向かって右半分に衝突した。そして、被告車両はそのまま進行して南側横断歩道付近に停車し、亡啓之は、第三車線上の南側横断歩道よりもさらに葛西方面に寄った地点(別紙図面<ウ>)に転倒した。

2  認定事実に反する証拠の検討

(一) 衝突地点について

(1) 実況見分調書及び鑑定の結果について

被告は、衝突地点は、自転車横断帯内ではなく、交差道路の中央付近であると主張し、平成七年四月二九日付け実況見分調書(乙三)及び鑑定の結果は、衝突地点を、第二車線上で、かつ、交差道路の中央付近であり、本件自転車横断帯の南端から四メートルのスリップ痕上の地点(別紙図面<×>地点)であるとし、これに沿うものである。

実況見分は、平成七年四月二九日午前一時四〇分から被告立会いの下で行われ、その際、被告は、衝突地点について、自転車横断帯より少し葛西方面に寄った交差道路の中央付近を指示説明したようである(乙三、四。指示説明の内容は必ずしも明らかでないが、本件実況見分調書には、衝突地点について、右の内容の記載があり、被告作成の陳述書[乙四]には、具体的な事故の状況は、実況見分調書に記載されているとおりであるとの記載があることから、右のとおり指示説明したものと推測できる。)。しかし、警察官が、被告の指示説明のみに基づいて衝突地点を特定したのか、スリップ痕などの指示説明以外の事情に基づいて特定したのか、あるいは、指示説明とその他の痕跡を総合して特定したのかについては、本件全証拠によっても明らかではない。鑑定人も、実況見分において特定された衝突地点は適正なものであるとするが、その理由は、警察が行う衝突地点の特定は、細かい破砕片の落下、路面の微細な擦過痕の印象などを精査、確認してなされ、かなり高い精度を有しているとした上で、これによれば、実況見分調書に記載された衝突地点は、被告の指示説明や路面への痕跡等の諸事情を総合して決定されたものであると解することができ、実況見分時に認定された衝突地点に誤謬が存在するとする事故工学原則に則った理由も見あたらないというものである(鑑定の結果、以下「吉川鑑定」という。)。

このように、実況見分調書に記載された衝突地点は、どのように特定されたのか否かが明らかでないから、警察官が判断したとの一事をもってそれが適正であるとは当然にはいえない。また、吉川鑑定も、実況見分時に認定された衝突地点に誤謬が存在するか否かを検討する事故工学的分析を示しておらず、実況見分時に認定された衝突地点が適正なものであるとする理由は必ずしも説得的なものではない。しかし、それは、事故直後の現場において、被告に指示説明をさせながら、警察官が特定したものであるから、事故当事者の一方の立会いにより行われたもので、指示説明の信用性については慎重に判断する必要は否定できないにしても、その地点であることに合理的疑問を生じさせる事情が存在しなければ、それを適正なものと判断せざるを得ないというべきである。

そこで、実況見分調書の内容とは異なり、衝突地点は本件自転車横断帯内とする原告らの主張に沿う証拠として、事故工学的分析を行った三樹真作成の事故解析書(甲二五、以下「三樹解析」という。)及び意見書(その2、甲二六)が存在するので、この内容について検討する。

(2) 三樹解析について

<1> 前提事実

証拠(乙三)によれば、事故現場には、別紙図面のとおり、第二車線と第三車線の区分線の延長線上付近で、かつ、本件横断歩道内の中央よりやや奥戸方面よりの地点から、第一車線と第二車線の区分線の延長線上付近で、かつ、南側横断歩道内のほぼ中央の地点まで、加害車両の二〇・五メートルのスリップ痕一本(以下「本件スリップ痕」という。)が路面に直線状に残存していたこと、亡啓之の左靴は、別紙図面のとおり、第二車線上の本件交差点より南側の地点に落ちており、葛西方面から奥戸方面へ向かう車線(以下「反対車線」といい、特に反対車線ということわりがない場合は、奥戸方面から葛西方面へ向かう車線をいう。)の本件交差点中央より奥戸方面寄りには、別紙図面のとおり、第三車線上に亡啓之の鞄が、第一車線と第二車線の区分線の延長線上付近に亡啓之の右靴が落ちていたこと、平野自転車は南側横断歩道の交差点内側に存在する自転車横断帯の、反対車線の第二車線上(別紙図面<エ>)に倒れていたことが認められる。

<2> 三樹解析の概要

三樹解析は、本件スリップ痕の開始地点から亡啓之が転倒していた地点までを結んだ直線及び本件スリップ痕の道路中央線に対する角度が、それぞれ六・二度、五・五度にとどまり、それらを道路中央線に換算すると、前者が〇・九九四二、後者が〇・九九五四と一にほぼ等しくなるので、本件スリップ痕の開始地点から亡啓之が転倒していた地点までを結んだ距離(以下「A距離」という。)及び本件スリップ痕の長さが、いずれも、それぞれの道路中央線方向への距離と等しいとした上で、A距離から、衝突地点から亡啓之が転倒していた地点までの距離(衝突地点から本件スリップ痕の最終地点に、そこから亡啓之が転倒していた地点までの距離を加えたもの。以下「B距離」という。)を差し引くと、スリップ痕の開始地点から衝突地点までの距離が三・〇メートルとなるので、衝突地点は本件自転車横断帯の中であると結論付けている(甲二五)。

<3> 三樹解析の評価

右の判断方法は、ある程度角度のある距離を、道路中央方向と同じ距離として扱っている点で多少の誤差があり得る解析方法であるが、その他にも、次のとおり、解析の精度に疑問がある事情が存在する。

まず、三樹解析は、本件スリップ痕の最終地点から亡啓之が転倒した地点までの距離を、道路中央方向への距離として五・五メートルと算出した上で、この距離と本件スリップ痕の長さの和である二六メートルをA距離としているが(甲二五、二六)、本件スリップ痕の最終地点から亡啓之が転倒した地点までの距離が五・五メートルであることを認めるに足りる証拠はない。そして、例えば、これが六・五メートルであるとすれば、仮に、その他がすべて三樹解析のとおりであるとしても、本件スリップ痕の開始地点から衝突地点までの距離は四・〇メートルになり、衝突地点は、本件自転車横断帯でない可能性も生じる。

また、三樹解析は、B距離は、亡啓之の飛翔時間中の移動距離と着地後の滑走距離との和であるとし、この滑走距離を算出するのに、亡啓之の身体と路面の摩擦係数を〇・七五としているが(甲二五)、この係数も一般論では〇・六五ないし〇・八と幅がある(甲二六、四五)。そして、例えば、これを〇・八とすると、仮に、その他の条件が三樹解析のとおりであるとしても、B距離は、二一・九九メートルになり(甲二五の一二頁〔1〕式)、これをA距離である二六メートルから差し引くとスリップ痕の開始地点から衝突地点までの距離は四・〇一メートルになり、やはり、衝突地点は、本件自転車横断帯内ではない可能性も出てくる。また、三樹解析は、亡啓之が転倒した地点が、本件スリップ痕の延長線から外れていることから、衝突直後に自転車乗員は被告車両のボンネットから離れて飛翔したとの前提に立っているが、亡啓之が被告車両のボンネットから離れたのが衝突直後ではなかったとしても、ボンネットから落下する方向によっては、亡啓之が本件スリップ痕の延長線から外れた方向に転倒することも考えられないではない。さらに、亡啓之が飛翔を開始したときの速度と、被告車両が衝突した速度は同じであるとの前提で、衝突位置を算出しているが、亡啓之の身体が、被告車両のフロントガラスを割って客室内部に進入し、衝撃が吸収された可能性が考えられることや、フロントガラスへの衝突後に被告車両のボンネットへ衝突した可能性などを考慮に入れていないなど、精度が減殺する可能性がある事情が多々存在する。

元来、工学的観点からの解析は、上記の摩擦係数を初めとした条件設定の数字如何によって、差異が生じるものであるから、これによって、衝突地点を厳密に特定することはかなりの困難を伴うといわざるを得ず、衝突地点ではない範囲を認定し、衝突地点をある程度絞り込む以上の意義を認めるのは困難であるというべきである。そして、この観点から三樹解析を検討すると、衝突地点が、実況見分調書及び吉川鑑定における衝突地点より葛西方面寄りであることを否定する意義を認めることはできるが、精度に幅があり得る以上、実況見分調書及び吉川鑑定における衝突地点に合理的な疑いを生じさせるほどのものとまではいえないが、他方で、三樹解析が指摘する衝突地点も可能性としてはあり得るといわざるをえない。

(3) 結論

以上のとおり、三樹解析は、実況見分調書及び吉川鑑定に合理的疑問を生じさせるほどのものとまではいえないが、他方で、衝突地点が本件自転車横断帯であった可能性があり得ることを示唆するものである。そして、実況見分調書がいかなる事情を前提にして衝突地点を特定したのかは明らかでなく、吉川鑑定が、実況見分調書と同一の地点を衝突地点と特定した理由も、必ずしも説得的とはいえないことを併せて考えると、衝突地点が、本件自転車横断帯の外側であったと認めるには足りず、結局、衝突地点は、本件自転車横断帯内か、あるいは、そこから四メートル南側に寄った地点の範囲内であると認められるにとどまる(後記のとおり、平野自転車の対面信号は赤色であったと認められるから、仮に、平野自転車が本件自転車横断帯より交差点中央に寄った地点を走行したとしても、本件自転車横断帯からの距離が四メートルほどにとどまる以上、それは、亡啓之の過失割合を増大させるものとはいえない。)。

もっとも、被告は、衝突地点が実況見分調書のとおりであるとすれば、亡啓之の右靴や、平野自転車のハンドルの前のかごに入っていたはずの亡啓之の鞄が、実況見分調書上に記載された衝突地点よりも、被告車両の進行方向に向かって、前方(葛西方面)ではなく後方(奥戸方面)に飛ばされているのは、不自然であると主張し、これに沿う証拠(証人平野正志)がある。そもそも、亡啓之の鞄が平野自転車の前かごに入っていたと認めるに足りる証拠はないが、それをさておくとしても、後記のとおり、本件事故当時、反対車線を走行した車両が存在した可能性があるから、それらは、その車両が接触し奥戸方面に移動させられた可能性も考えられるから、これをもって実況見分において特定された衝突地点が適正でないということはできない。

また、実況見分調書及び吉川鑑定は、本件スリップ痕が右タイヤで付けられたものであると特定しており(乙三、鑑定の結果)、三樹解析は、これは、実況見分調書上の被告が最初に発見した平野自転車の位置と整合せず、左タイヤで付けられたと特定するのが、これと整合すると分析する(甲二五)。しかし、被告が、指示説明した平野自転車の位置は、どれほど正確なものか定かでなく、仮に、これと整合しないとしても、これをもって実況見分調書及び吉川鑑定の信用性を減殺することにもならない。

(二) 信号の表示について

原告らは、実況見分における衝突地点に関する被告の説明は信用できないから、信号表示に関する被告の説明も信用できないと主張する。

確かに、右に検討したとおり、衝突地点は、実況見分調書上の衝突地点よりも本件自転車横断帯に寄った地点か、その中である可能性がある。しかし、本件事故が夜間の一瞬の出来事であることからすると、被告が認識した衝突地点が真実の衝突地点とやや異なる可能性は十分考えられる。したがって、被告が指示説明した衝突地点が、進行方向に対して前後に数メートル異なっていたとしても、意図的に虚偽の説明をしたとまでは断定できないのであるから、当然に信号表示に関する供述が誤っているということはできない。その他に、本件全証拠によっても、被告車両の対面信号が赤色であったこと、あるいは、亡啓之の対面信号が青色または青色点滅であったことを窺わせる積極的証拠はない(証拠[甲四四の1・2、原告平野浩]によれば、本件事故当時、反対車線にも車両が存在したことが窺われるが、これによっても、少なくとも、亡啓之の対面信号が青色または青色点滅であったことは窺われず、右証拠によれば、かえって、反対車線の車両が走行していて、被告車両の対面信号が青色であった可能性すら窺える。)。

原告らは、本件事故発生時刻の環七通りの走行車両の量と速度からして、環七通りを赤信号で渡るはずがないと主張し、確かに、本件事故発生と同時刻における環七通りを走行する車両が多く、速度制限を超過して走行している車両が少なくないことを窺わせる証拠はある(甲二三、証人平野正志)。しかし、右の主張は、遺族の感情としては理解できないではないが、事故発生当時もまったく横断できる状況になかったというのは憶測の域を出ないものであり、採用できない(そもそも、亡啓之が歩行者用信号が青色あるいは青色点滅で横断したとする原告らの主張を前提にすれば、被告車両の走行車線の対面信号は、しばらく赤色であったはずであるが、被告車両の前方にそれに従った停止車両がいたとは主張していないことは、被告車両の前方を走行する車両がしばらくなかったことを前提にするもので、走行車両が途切れる時間がまったくないわけではないことを原告らが自認するものといえる。)。

二  責任原因及び過失相殺

一の1で認定した事実によれば、対面信号は青色であったとはいえ、被告は、自己が所有する被告車両を運転し、制限速度を約一〇キロメートルから一五キロメートル超過した速度で走行した上、平野自転車が本件交差点中央付近を走行するまで、これに気が付かなかったのであるから、被告には、前方注視義務違反及び速度違反の過失が認められ、自賠法三条、民法七〇九条に基づき、亡啓之及び原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

他方、亡啓之にも、歩行者用信号が赤色であるにもかかわらず、自転車に乗って環七通りを横断した重大な過失があるというべきである。なお、被告は、亡啓之は、交差道路の中央を走行した過失があると主張するが、すでに検討したように、亡啓之は交差道路の中央を走行した可能性はあるものの、そのように認めるには足りず、仮に、亡啓之が交差道路の中央を走行したとしても、亡啓之が赤信号で横断している以上、それが、本件事故の発生により寄与したということはできず、過失の程度を増大させるほどの事情とはいえない。

そして、右の過失の内容、本件事故の態様等の事情を総合すれば、被告及び亡啓之の過失割合は、被告が三〇パーセント、亡啓之が七〇パーセントとするのが相当である。

三  損害額

1  葬儀費用(請求額一二〇万円) 一二〇万〇〇〇〇円

争いがない。

2  逸失利益(請求額六八一六万二二五八円) 五〇〇九万七六二七円

(一) 認定事実

証拠(甲五の1・2、六ないし一一、一五の1ないし3、三二)によれば、次の事実が認められる。

亡啓之は、昭和三二年一〇月二一日生まれで、明治大学を卒業後、凸版印刷株式会社に入社したが途中退職し、平成二年四月一日から社会福祉法人江戸川区社会福祉協議会に採用された。本件事故当時も江戸川区社会福祉協議会に勤務し、本件事故の前年である平成六年の収入は、年間五三九万五一三四円であり、独身であった。亡啓之の事故当時の役職は主事であり、給料表における職務の級は三級であった。江戸川区社会福祉協議会においては、定期昇給として、概ね一年に一回一号給昇給し(一号給の増額は月額数千円程度である。)、主事から主任主事、主任主事から主査へはそれぞれ昇任選考を得て昇任することになっており、給料表における職務の級は、主事が三級及び四級、主任主事が四級及び五級、主査が五級及び六級となっている。なお、事務局長は七級である。昇任選考がなされなかった者は、現職の級内において最上号給まで昇給することになり、本件事故当時の基準によれば、三級の最上号給は三二号給で月額三六万〇六〇〇円であった。給料月額には一二パーセントの調整手当とともに超過勤務手当が支給され、亡啓之の平成六年五月から平成七年四月までの超過勤務手当は九九万一九八〇円であり、本件事故当時の期末及び勤勉手当は年間五・二月分であった。江戸川区社会福祉協議会事務局長は、亡啓之は、昇任選考に早い機会に合格する可能性を有していたと評価している。また、江戸川区社会福祉協議会においては、就業規程により、定年は満六〇歳に達した日の属する年度の末日とされており、退職金が支給される。退職金は、退職の日におけるその者の給料月額に、<1>一年以上一〇年以下の期間は、一年につき一〇〇分の一五〇、<2>一一年以上二〇年以下の期間は、一年につき一〇〇分の二三〇、<3>二一年以上三〇年以下の期間は、一年につき一〇〇分の二四〇、<4>二六年以上三〇年以下の期間は、一年につき一〇〇分の二〇〇、<5>三一年以上の期間は、一年につき一〇〇分の一一〇をそれぞれ乗じて得た額の合計額とされているが、この額が退職の日におけるその者の給料月額に六二・七を乗じて得た額を超える場合は、この六二・七を乗じて得た額とされる。そして、亡啓之は、平成七年四月二九日に死亡退職したとされ、退職金として一九一万〇五二〇円が支給された。なお、東京都社会福祉協議会従事者共済会に加入していた者は、従事者共済会規程に基づく退職手当が支給される。

(二) 裁判所の判断

原告らは、亡啓之の収入は、本件事故当時から、二三年後の定年時まで、平均して年間二〇万六〇九〇円ずつ昇給すると主張し、概ねこれに沿う証拠(弁護士法二三条の二に基づく照会に対する社会福祉法人江戸川区社会福祉協議会事務局長深見祐弘の回答書、甲五の1)がある。

この回答書のうち、右の主張に沿う部分は、「平野啓之が昇格試験に合格するとした場合、定年までの昇給、給与支給額の計算表は作成できますか。」との質問に対するもので、平成一三年四月一日に主任主事に、平成一八年四月一日に主査に昇格すると仮定し、かつ、年間五・二か月分の期末・勤勉手当が維持されるとの前提で、超過勤務をも毎年増額して算出している(甲五の1)。

たしかに、亡啓之は、早い機会にこれに合格する可能性を有していたと評価されていたようであるが、右の回答書の内容は、昇格試験に合格すると仮定した場合の昇給に関する予想であり、しかも、主任主事、主査に昇格する時期を、それぞれ平成一三年四月一日、平成一八年四月一日としたことについては、何らの理由も示されていない。そもそも、(一)の認定事実によれば、江戸川区社会福祉協議会においては、少なくとも、毎年年間数万円ずつは昇給していくシステムが確立されているということができるが、それ以上の昇給は、昇任選考を得る必要があるから、不確定要素が強いことは否定できない。亡啓之は、その能力を評価されていたものの、本件事故当時までは現実に昇任選考に合格した実績を有しておらず、これまでに、亡啓之と同程度の経歴を有する者が、その後経歴を積んでどの程度まで昇任しているかを認めるに足りる証拠もないから、亡啓之が昇任選考に合格する可能性があるということはできても、どこまで昇任するか、また、いつ昇任するかを判断することは困難といわざるを得ない。さらに、超過勤務手当が順調に増額するか否かはまったく不確定であり、期末・勤勉手当も同一水準を維持できるか定かでない。したがって、前記回答書の内容を直ちに採用することはできず、その他、原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

ところで、(一)で認定した事実によれば、亡啓之は、昇任試験に合格しなかったとしても、定年退職時の給料月額(退職金の基礎となる金額で、諸手当等を含まない)は、少なくとも、三六万〇六〇〇円になると認めることができる。そして、これを前提に退職金を算定すると(三六万〇六〇〇円に、二八年間勤務で計算した支給率五六・〇を乗じる。)、二〇一九万三六〇〇円になり、これを、亡啓之が本件事故に遭わなければ勤務することができた二三年間で除すると、平均して年間約八八万円ほどになる(なお、亡啓之が東京都社会福祉協議会従事者共済会に加入していたと認めるに足りる証拠はないから、ここからの退職手当を考慮することはできないし、仮に加入していたとしても、算定方法を認めるに足りる証拠もない。)。そして、亡啓之に、退職金として一九一万〇五二〇円が支給されたこと、亡啓之の本件事故当時の収入が年間五三九万五一三四円であり、控えめに見ても毎年数万円程度の昇給をすること、定年退職し、かつ、退職金が支給されることからして、その後にさらに労働するか否かは流動的であると推認できることを併せて考えると、亡啓之は、退職金を含めて、本件事故に遭わなければ、六〇歳の定年退職時までの二三年間については、平均して、少なくとも平成七年賃金センサス産業計・企業規模計・大卒男子の全年齢平均収入である年間六七七万八九〇〇円の収入(当裁判所の顕著な事実)を、その後六七歳までの七年間については、平成七年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計の男子六〇歳から六四歳の平均収入である年間四六四万八九〇〇円の収入を得ることができたと認めるのが相当である。

これを前提に、亡啓之が独身であることから生活費控除を五〇パーセントとし、ライプニッツ方式により、中間利息を控除すると(二三年間の係数は、一三・四八八五、その後の七年間の係数は、一・八八三九[一五・三七二四-一三・四八八五])、次の計算式のとおり、五〇〇九万七六二七円(一円未満切り捨て)となる。

(計算式)

6,778,900×(1-0.5)×13.4885+4,648,900×(1-0.5)×1.8839=50,097,627

3  慰謝料(請求額二〇〇〇万円) 二〇〇〇万〇〇〇〇円

争いがない(なお、原告らの主張は、亡啓之の慰謝料の相続分及び原告ら固有の慰謝料を含むものと理解することができ、被告は、これを前提に認めるものと理解することができる。)。

4  過失相殺

1ないし3の損害合計額七一二九万七六二七円から、過失相殺として七〇パーセントに相当する金額を控除すると、二一三八万九二八八円(一円未満切り捨て)となる。

そして、原告らは、亡啓之の損害について、いずれも二分の一ずつ相続したから、原告らが有する損害賠償請求権は、各一〇六九万四六四四円となる。

5  弁護士費用(請求額各三〇〇万円) 各一三〇万円

審理の経過、認容額などの事情を総合すれば、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、各一三〇万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、原告らの請求は、不法行為に基づく損害賠償金として各一一九九万四六四四円と、平成七年四月二九日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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